時事
税理論を無視した、消費税を社会保障目的税とした「税と社会保障の一体改革関連法案」が成立したのは2012年8月です。当然、急に降って湧いた法律ではなく、法制化される前から画策されていて、最初の発端は1999年に遡ります。
橋本内閣退陣後に自民党は小渕内閣を成立させました。当初は自民単独政権でしたが、参院選に負け自民単独では過半数を維持できなくなり小沢自由党と連立を組みます。この「自自連立」ののち公明党とも組み「自自公連立」となりました。小渕政権はたったの2年弱で3回の組閣をしています。小渕内閣の特徴は、緊縮増税へ走った橋本前総理の轍を踏まず「経済再生内閣」と自ら名づけ積極財政へシフトしました。当時の日本は今から見直せば「デフレの入り口に差し掛かるころ」。経済学的に見れば、景気は後退局面、不良債権処理も半ば、アジア通貨危機の最中で国際通貨危機が起きロシアがデフォルトしました。小渕内閣は矢継ぎ早に、或いは、思いつくものは手あたり次第手を打つ積極財政で支持率は上昇し続けましたが、それを快く思わない集団がありました。財政再建主義の大蔵省です。
今日の小沢氏を見ればわかる通り、小沢一郎という政治家に政策の一貫性は有りません。対立軸になりうるものは柔軟に乗っていく山師です。大蔵省はじゃぶじゃぶ金を使う小渕政権に対し、連立パートナーの小沢氏を抱き込むことで大蔵案を通す作戦に出ました。大蔵省は小沢氏に「消費税の税収を全て社会保障に回す」というアイディアを授け、以降、小沢―大蔵共闘が始まります。1998年に編成された予算案の「予算総則」という法的縛りはないものの、予算の方向性を示す書類には「消費税の収入が当てられる経費範囲は次のものとする」として、各省庁が管轄する社会保障費の項目が羅列されています。この時の大蔵省事務次官は田波耕治氏で、同期入省の大蔵組には野田毅、野口悠紀雄、涌井洋治各氏がおり、顔を見渡してもロクなのがいません。田波元事務次官の下で小沢氏と画策して非常識な社会保障目的課税のレールを引いたのは、この2年後に事務次官になる武藤敏郎現オリンピック大会組織事務総長です。10年、20年に一度の大物と言われた武藤さんが起案した社会保障目的課税という世界に類がない非常識が、この時から現在に至るまで日本の足を引っ張り続ける起点となりました。
こうして予算総則の規定は法律化されるまで毎年書かれることとなります。最初の一歩は武藤氏と小沢氏の腕力でなされたものの、この二人は動きのいい人ではなく、実際の振り付けをして飛びまわった官僚は別にいて、この時までは大蔵省が組織ぐるみで動いていたのではなく、大蔵の一部が動き回っただけです。当然といえば当然です。これまでは大蔵省は「社会保障費の財源に税はそぐわない」と世界の常識と合致したことを述べており、社会保障目的課税は大蔵省内部でも異論が噴出していましたが、それを抑え込んだのが大物の武藤氏、実働部隊のトップが亡くなった香川俊介氏です。
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