残念
下記のコラムは、元官僚で中央官庁相手にエコノミストとして働き、現在は故郷の京都で大学客員として働いている方のコラムです。考え方は違うのですが、本に対する書評は鋭いところがあり気に入っていたんですが、下記のようなことを言われるとがっかりします。
「保守」のボクが思う保守というのは、我々の根っこ、歴史や文化に則った国民性を大事にするというのが保守です。「進歩派」や「リベラル」という方々と話すと、言葉では礼賛していても本音は歴史を恨んでいる、もっと言えば、学歴はあっても誤認が多いことにこめかみの血管が切れそうになります(笑)。バカですから歴史や文化を知らず、新しいとされる事をしたり言ったりすれば「進歩的」となる単純な人種です。この手合いは真に「文化度が低く」、話していても薄っぺらいので人間に魅力がありません。
「保守」の何たるかも知らず批判するんじゃありません!
最後に、田中拓道『リベラルとは何か』(中公新書) です。著者は、一橋大学の政治理論お研究者です。本書を読んでいて、5年ほど前の2016年9月10日付けの読書感想文で同じ中公新書で宇野教授の『保守主義とはなにか』を読んだのを思い出しましたが、同時に、ややレベルの差を感じてしまいました。というのも、本書では、カテゴライズにカーテシアン座標を用いるのはいいのですが、横軸が配分・再配分の主体が国家と市場、ここまではOKで、縦軸が保守とリベラルになっているのは、本書のタイトルである「リベラル」の解明にはトートロジーで、リベラルとは保守の反対、ということになってしまいます。宇野教授の『保守主義とはなにか』の感想文でも書きましたが、保守とは歴史の流れを現時点でストップさせようとする考えであり、その逆は進歩主義であると私は考えています。他方で、歴史の流れを逆転させようとするのが反動主義です。その観点からすれば、リベラルとは保守の反対ではなく、むしろ、配分や再配分を市場ではなく政府が主体となる世界観を持つのがリベラルであろうと私は考えています。ですから、本書でいうところのケインズ的な福祉国家はまさにリベラルそのもの、と私は考えています。ただ、ここで注意すべきなのは、配分・再配分については、事後的なものだけでなく、事前的な配分についても考えに含める必要があります。もっとも理解しやすいもので所得の再配分について考えて、徴税と社会福祉で稼得所得を事後的に再配分するのは大いに結構で、私は累進課税の強化と逆進的な消費税の縮小ないし廃止を政策としてすすめるべきとすら考えていルエコノミストなんですが、それだけではなく、事前的な所得に影響する要因への対応という政策もありなわけで、教育とか職業訓練が容易に想像されます。ほかの例を上げることはしませんが、こういった再配分・配分の観点をリベラルと私は考えるべきと主張したいと思います。ということで、繰り返しになりますが、やや物足りない読書でした。
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