大嘗祭
先週の時事通信の記事です。大嘗祭を支える各種職人が高齢でという記事です。
天皇家の年中行事を裏で支える職種は200ほどあり、細分してみれば1400種類ほどの専門の職人が必要になります。昔はお抱え職人。それが時代の移り変わりで食べていけなくなったということに過ぎません。昭和の終わりに宮内庁から「左右の職を兼ねてほしい」というお願い事がありました。左右というのは、様々な工程を経る伝統職の工程の前後を兼ねることで、1400ほどの職域を500ほどの職に細分化してほしいというお願いでしたが、各々が長い時間の末に洗練された職でしたから、机上で考えるようにはいきません。文化は時代とともに消えてゆくのが正常な歴史です。
文化保護という観点は大事ですが、保護された瞬間に文化は文化でなくなります。文化は強いメッセージを含むものであり、保護されると強さが失われ形だけ残るのです。歴史上、様々な文化が生まれ、その時代を彩り、人類社会を豊かなものにしてきましたが、保護したから残るものではなく、また新しい文化がいずれ芽を吹くのです。
大嘗祭で使用する深紅の内絹は、うちの機場で織ったものを吉岡染工が紅花で染めたものです。現代の保存技術なら数百年は使えるはずです(宮内庁がバカなことしなければデス)。天皇家は時代に合わせて変わろうというお考えで、戦前までは年間260種の儀式が執り行われていたものが100前後まで減少しました。それを嘆く人もいるでしょうが、大嘗祭などの重要儀式のみ残し、他の行事はなくなっていくでしょう。下記の記事あるような「課題」ではなく、もう決まった道筋です。文化とはそういうものなのです。
人は歴史で「創造と崩壊」を学びます。現代人も古来の人も歴史から「創造と崩壊」を学び、現世をより良くしようとするのです。「創造」とは文化のこと。「崩壊」とは戦争のことです。
歴史を知らず、創造も崩壊も知らずに平和や平等が進歩的だという左派。大嘗祭には、日本の国の形の起源があります。国の形も時代とともに変わればいいんじゃないなどと考える人は、なぜ2000年も続いたのか知ってください。そんなことも知らず政教分離の原則などという左巻きは日本人ではないのです。
今夜から大嘗祭 重要調度品の産地、人口減り高齢化 後継者づくり課題
11/14(木) 天皇陛下の即位に伴う伝統儀式「大嘗祭」が14日夜から15日未明にかけて行われる。 儀式で神様のお召し物として供えられる絹布「繪服(にぎたえ)」と麻織物「麁服(あらたえ)」の産地では、29年前の平成時と同様、慎重に作業が進められた。
麁服の原料となる大麻は、徳島県美馬市木屋平の山あいで許可を取って育て、糸を紡いだ上で、隣の吉野川市で織物に仕上げた。中心となって進めたのは、阿波忌部(あわいんべ)氏の直系とされる「三木家」の28代当主信夫さん(83)。前回の大嘗祭でも大役を担った。
繪服は、愛知県豊田市稲武町の「まゆっこクラブ」の女性たちが糸を引き、平成時に中心的な役割を果たした金田平重さん(90)が今回も作業を見守った。
大嘗祭まで1年余りとなった昨年10月、長野、岐阜両県と接する同町まで三木さんが足を運び、金田さんと面会する機会を持った。「最も重要な調度品を納めている者同士で交流し、情報も共有したかった」と三木さん。金田さんは平成時に納めた繪服の残りを披露しながら、「人に見せたのは28年ぶり」などと笑顔で応じ、過激派などの活動が激しく、警備などで苦労した当時の話に花を咲かせた。
時は移り、双方が現在直面しているのは、高齢化など人手の問題だ。美馬市木屋平の人口は560人余りと、合併で同市が誕生した2005年と比べても半分以下となり、6割が65歳以上。前回、巫女(みこ)として、双子の姉と共に糸を紡いだ同市職員原田めぐみさん(47)は「当時の婦人会は老人会になっている。今回は裏方として働いたが、畑の草刈り一つとっても一人ひとりの作業量がすごく多かった」と先行きを不安視する。
豊田市稲武町でも、平成時に中心となって糸を引いた金田さんの妻ちゑのさん(92)が今回指導・監督したのは、60代と70代の女性3人。同町の人口も減っており、現在は2200人余りで、65歳以上が半分を占める。
「次は大学生の孫に託したい」と話す三木さん。一方、金田さんの2人の息子や孫たちは離れた場所で暮らす。いずれにしても、地域を挙げての後継者、体制づくりが喫緊の課題となっている。
0コメント