時事
下記はニューズウィークのコラムです。韓国に悪い「印象」を持つ日本人に対し、在日韓国人の筆者のコラムはまっとうなことが書かれているように見えますが、こういうことを言っている間は、日韓関係も日本人の心象もよくなりません。「印象」といったのは日本人も不勉強で、事実ではなくイメージで話している人が多いからです。
韓国に対して言いたいことは山のようにあります。事実と全く異なる事をでっち上げて反日教育を施し、真実とかけ離れた知識を身に着けた韓国人の半数近くが反日左翼思考をもち、従軍慰安婦や徴用工という捏造に疑念なく日本に悪意を持つという状況です。そういう韓国人や韓国社会に対し、日本人が嫌韓になるのは必然です。
ただ、その必然も二手あり、片方は正しい知識を身に着けた日本人であり嫌韓というより「もう、日本にかかわらないでくれ」と思っている人が多く、もう片方は無知から来るバカな日本人で、こういう方々がKポップを聞き、韓流ドラマを見ながらも韓国にネガティブなイメージを持つという、日本人として恥さらしな方々です。
確かに韓国を含む朝鮮民族はかわいそうな歴史を背負っていますが、日韓議連の先生方のように「かわいそうだから」と手を差し伸べ、ついでに自らの既得権を増やすのは反逆行為と同じです。また、かわいそうな韓国人も自ら真実を学ぶ方法はいくらでもあり、それすらせずに反日感情を持っているのはいかかでしょうか。
昔からブログに書いていますが、韓国はいずれ消滅します。韓国の未来は2つの選択肢しかなく、一つは中国に飲み込まれ反米反日で自由民主主義圏から離脱。もうひとつは、北朝鮮主導による南北統一後に日本に戦闘行為を仕掛けて自由民主主義圏から離脱と、いずれにしても朝鮮半島は民主主義には成れない運命にありますから、力や金のある朝鮮人は半島を捨てるでしょう。
下記が、まっとうに見える綺麗事なのは、そういった理由です。
「反韓」ではなく「嫌韓」なのはなぜ?
2019年11月28日(木)
李 娜兀(リ・ナオル)
<ジムではKポップダンスで汗を流し、女子高生はBTSのコンサートに向かう......開かれた隣国関係に「全否定」はないはず>
最近、日本では嫌韓ムードがこれまでになく高まっている......らしい。10月に発行された本誌でも嫌韓を深く探る特集が掲載された。私の東京におけるホームタウンである練馬区では今年5月に嫌韓デモがあり、東京都初のヘイトスピーチ認定案件になったそうだ。「らしい」とか「そうだ」と書いたのは、自分でそうした場面を目撃したわけではなく、それほど実感が湧かないからだ。
確かに書店に行けば韓国の否定的な部分だけを取り上げ、批判する雑誌や書籍が並んでいるのが目に入る。だが2015年から3年間ソウルで暮らし2018年春に東京に戻ってきた私が驚いたのは、むしろ日本社会における韓国ポップカルチャーの受容がさらに広がっていたことのほうだった。
15年前から通う近所のジムでは、ダンスのクラスでBTS(防弾少年団)などKポップアーティストの曲をしょっちゅう取り上げるようになっていた。インストラクターはニコニコして歌詞の意味を聞いてくるし、一緒に運動するジム仲間は汗を流した後、「チョンマル ピゴナダ(ホント疲れるよね)」と韓国語で声を掛けてくれる。ドラマを見て耳で覚えたそうだが、発音もタイミングも、かなり自然だ。長女の通う高校では、Kポップグループの歌詞を見ながら韓国語を勉強する同級生も多く、連れ立ってBTSのコンサートに行ったりしている。かつての韓流ブームに比べても、対象世代を広げ、さらに深く定着しているようだ。
こうした状況は私が東京で留学生活を始めた1990年代後半と比較すると隔世の感がある。当時アパートを探そうと不動産屋に行き、気に入った部屋に申し込んでも、次から次へと断られた。ほぼ40件当たって、部屋を見せてくれたところはたったの3件。不動産屋に理由を聞くと「大家さんが嫌がるんですよね......。韓国人や中国人に部屋を貸すと家族やらなにやら増えて大勢で住むかもしれないから」。ずいぶん差別的なことを、はっきり言うのだなと驚いた。
今でも差別は残っているだろうが、20年前と比較すれば、日本社会はずいぶんと多様性を認めるようになったと思う。区役所でも多様な外国語があちこちから聞こえ、職員たちが懸命に対応している。これは東京五輪を控えていることや、観光産業や労働力市場で、日本社会を外に開くことの必要性が広く認識されてきたせいなのかもしれない。韓国文化の受容の広がりも、こうしたなかで起きていることなのだろう。
ただ、どうしても気になるのは「嫌韓」という言葉だ。「反韓」という言葉もなくはないが、「嫌韓」のほうがはるかに定着している。アメリカや中国に「嫌」より「反米」「反中」を主に使うのとは対照的だ。「反」なら良いということではもちろんないが、同じ否定的な言葉でも、「嫌い」には情緒的に全否定するニュアンスがある。知人に「あなたの考え方には反対だ」と言われるよりも、「あなたのことは嫌いだ」と告げられるほうがショックだろう。
世界中どこでも隣国関係は複雑だ。歴史問題などで関係がぎくしゃくするなか、韓国政府の政策や韓国メディアの報道に反発する人が日本国内で増えることは理解できる。ただ、そういう人たちの中にも一度はまった韓国ドラマは見続けたり、韓国料理は好きだったりする場合もあるだろう。
であれば、時代遅れの差別意識から韓国を下に見て全否定するのを「嫌韓」、部分的に反対するのは「反韓」と分けて考えるのもありではないか。こうした議論が、お互いに「全否定はやめよう」という機運につながるかもしれない。もちろん日本に住む韓国人としては、「嫌」も「反」も乗り越えて両国が仲良くできるのが望ましいけれど。
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