考察
今回の新型コロナ危機が持つ最大の厄介さは、「感染拡大の抑止」と「経済活動の維持あるいは正常化」という死活に係る重要な二つの政策目標が存在し、その両者を同時に達成することがきわめて困難であるという事です。感染拡大抑制のためには休業、休暇、休校等の奨励を通じた感染リスクの最小化が必要であり、それは当然ながら経済活動の政策的抑制を伴います。事実、中国や欧米をはじめとする一部地域では、店舗営業の停止、企業の生産活動等の停止、人々の移動や外出の制限や禁止、都市封鎖等の政策が行われてきています。現状では、その経済活動停止領域は、世界的に拡大こそすれ縮小はしておらず、中国の発表は当然信用性がありません。
各国の失業統計等に既に現れ始めているように、この経済活動停止によって生じる経済的収縮は、「リーマン・ショック級」あるいはそれ以上のものになるのは確実です。しかしそれは、リーマン・ショック後の大不況とは異なり、家計や企業の支出抑制による意図せざる結果ではなく、感染拡大抑制という政策目標を達成するために各国政府が意図的に行った政策に伴う必然的な結果です。コロナ収縮後となりますが、『この差異』は非常に重要な意味を持ちますから記憶しておいてください。
各国政府は今このように、本来なら促進こそすれ抑制などするはずもない民間の経済活動を意図的に抑制する政策の実行を迫られています。それは、「感染拡大の社会的リスクがもはや許容できない水準まで高まっており、それは経済活動停止によって生じる損失をも上回っている」という価値判断によるものです。
その深刻さは千差万別ですが、あらゆる経済活動には、公害に代表されるような、外部性から生じる社会的損失が存在します。そうである以上、外部性を生じさせる経済活動をすべて禁止するわけにはいきません。それをどこまで規制あるいは許容すべきかは、その社会的損失にどれだけのウエイト付けを行うかという、社会全体での価値判断に依存するのです。その点に関しては、各国は今回、新型コロナ感染拡大の社会的リスクに対してきわめて高いウエイト付けを行ったと考えることができます。
以上のように、多くの国は現在、感染拡大抑止を最優先の政策目標に設定する結果として、そのことによって生じる経済的損失を甘んじて受け入れるという選択を行っています。こうした価値判断には、当然さまざまな異論が生じます。実際、新型コロナ危機の初期段階では、「いくら新型とはいえただの風邪程度のものに経済活動を抑制までして対応する必要はない」という意見も数多く散見されていました。そうした意見は、現状においてさえ必ずしも的外れというわけではないのです。というのは、この感染防止か経済かの選択は、何が正しいのかという科学的・実証的判断の問題ではなく、価値として何を尊重するのかという規範的判断の問題だからで、その判断を最終的に下すのは、あくまでも公的意志としての「社会」である以上、あらゆる経済政策の背後には、このような意味での社会全体の集合的価値判断が存在しているからです。
仮に人々が感染拡大抑止を最優先の政策目標として設定した場合、次に問題になるのは、「そのために最もふさわしい政策手段は何か」という事になります。これは、政策目標選択の場合とは異なり、何が望ましいのかという規範的判断の問題ではなく、何が現実的に有効かという科学的・実証的判断の問題です。たとえば景気対策についてであれば、経済学者たちはこれまで、金融政策と財政政策という二つの代替的な政策手段の持つ効果の優劣を、理論や実証によって詳細に検討し続けてきました。このように、ある政策目標の実現のために有効な具体的な政策手段についての十分な知見を持っているのは、通常はその領域の専門家たちです。実際、新型コロナ危機への対応策として専門家たちが現在行っている提言や提案の多くは、この意味での政策手段に関するものです。
続く...。
0コメント