香港
初めて香港に行ったのは1985年でした。当然、当時はイギリス統治時代で白人も多く、ヤバイとされるエリアにさえ立ち入らなければ日本とは全く違った遊びができたものです。当時は寝る間もないほど忙しかったので、日帰りで香港へ飛び、うまい飯を食べてからスーツや靴をオーダーして帰るというような贅沢をしたものです。北京シルク公司を通じて中国本土に資本参加したのは1989年。ちょうど昭和と平成の切り替わり時でした。
中国が全国人民代表大会(5月22日~28日)の最終日に、「香港特別行政区の国家安全を維持する法律制度と執行メカニズムの確立・健全化に関する決定(草案)」を可決しました。長たらしい名称ですが、これは国家安全法を近く香港に向けて定めるということです。
国家安全法とは、習近平政権が2015年7月1日(奇しくも香港返還18周年記念日! )に中国国内で施行した、中国国内の安全を守るための法律で、全7章84条からなるものですが、例えばこんな規定が定められています。〈(第7条)国家の安全を維持し、憲法と法律を順守し、社会主義法治の原則を堅持する。 (第11条)中国の主権と領土の完備は、侵犯と分割を許さない。国家主権の維持、統一と領土の完備は、香港・マカオの同胞及び台湾同胞を含む全中国国民の共同の義務である。 (第15条)国家は中国共産党の指導を堅持し、中国の特色ある社会主義を維持する。(中略)国家はいかなる国への謀叛、国家分裂、煽動叛乱、転覆、もしくは人民民主専制政権を煽動転覆しようとする行為をも防止、制止し、法に基づいて懲罰する。 (第77条)公民及び組織は、下記の国家の安全を維持、保護する義務を履行せねばならない。 1.憲法、法律法規の国家安全に関する規定の順守 2.国家の安全に危害を及ぼすことにつながるものの即時報告 3.国家の安全に危害を及ぼす活動の証拠を知った際の実直な提供 4.国家の安全活動に利すること、もしくはその他の協力の提供 5.国家の安全機関、公安機関及び関係する軍事機関に対する必要な支持と協力の提供 6.知り得た国家機密の保守 7.法律、行政法規規定のその他の義務 〉
このように、同様の法律を持たない日本から見ると、かなり「おっかない」法律です。今回、この法律を、「2047年まで『一国二制度』(中国大陸は社会主義で香港は資本主義)を貫く」としている香港特別行政区にも適用させるというものでした。
中国から見ると、1997年にイギリスから返還された香港と、1999年にポルトガルから返還されたマカオは、二人の子供のような存在でした。ところが「長男」(香港)は聞き分けの悪い劣等生で、「次男」(マカオ)は親に従順な優等生なのです。例えばマカオでは、返還10年後の2009年に、マカオの安全規定(マカオ特別行政区基本法第23条)を定め、後の中国の国家安全法と符合させています。ところが香港では、2003年に香港特別行政区が同様の法律を定めようとしたところ、50万人デモが起こり、頓挫する結果となりました。それどころか、董建華(Dong Jianhua)初代行政長官が、この責任を取って辞任するという事態に発展。香港特別行政区基本法の第23条では、こう定めてあります。〈 香港特別行政区は、自ら法律を定めて、いかなる国家への謀叛、国家分裂、煽動叛乱、中央人民政府の転覆及び国家機密を窃取する行為を禁止せねばならない。外国の政治組織・団体が香港特別行政区において政治活動を行うことを禁止する。香港特別行政区の政治組織・団体と外国の政治組織・団体が関係を作ることを禁止する 〉 ここで言う「自ら法律を定めて」ということを、香港特別行政区政府(林鄭月娥長官)がいつまでたってもできないから、代わりに中央政府が定めてしまおうというのが今回の法律です。5月28日の全国人民代表大会での議決は、賛成2878票、反対1票、棄権6票でした。これだけの中国国内での強烈な締め付けにもかかわらず、反対を表明する代表が1人、棄権という「消極的反対」に回る代表が6人いたことは驚きに値します。もしかしたら、香港特別行政区から来た代表者か、新疆ウイグル自治区かチベット自治区の代表者でしょう。一応、秘密投票になっていますが、押しボタン式なので、実は誰がどういう投票行動を示したかが分かるシステムになっているので勇気ある行為です。
続く。
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