愛知県知事のリコール
長雨の後のこの夏最中、高須クリニックの高須克弥院長が精力的に、大村秀章愛知県知事のリコール運動をしています。
高須氏は全身ガンを公表しており、命を削ってまでの行動と言えるでしょう。「県民が熱中症になる危険性がある」として延期していた署名集めも、いよいよ8月25日の火曜日から始まる予定です。
その趣旨は、「お辞め下さい 大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会」などに書かれていますが、大村愛知県知事の公金の使途の疑義です。高須氏の公金の使途の観点は、これまでまったくブレていません。
昨年開催され、物議を醸した「あいちトリエンナーレ」。さまざまな公費支出が民主主義プロセスを経て行われる以上、国民がどのように使われるのか、内容を理解しておく必要があり、公金支出とし国民の納得が得られるか、に尽きます。
左派マスコミは、公費支出を当然といいますが、芸術とされ展示されていた昭和天皇肖像が燃える映像作品などは、映像を流しません。こうしたものを不快と思う人が国民に多ければ、公費支出が認められなくても当然のはなしです。
芸術文化への公費支出が容認されるのは、公共経済論からみれば、いい絵画を金持ちひとりが鑑賞するよりも、多くの人が観て幸福感を味わったほうがいいという「外部性」があるからです。件のトリエンナーレで展示された、昭和天皇の肖像画が燃える映像作品などは、不愉快だと感じる人も多いと誰もが判断できるもので、「外部不経済」なので規制してもいいくらいの存在ではないでしょうか。「表現の自由」を弾圧していると左巻きは騒ぎますが、トリエンナーレを協賛していた朝日新聞や中日新聞が、県の公金を使わずに、自社ビル内で行うのであれば、好きに展示をすればいいのですが、税金を使う道理がありません。朝日新聞や毎日新聞、東京新聞は、日本など無くなればいい、滅びればいいという会社ですから、高須氏の運動をほとんど報じていません。たまに報じられても、昭和天皇肖像が燃える映像作品に言及しないばかりか、公金支出は当然行われるものとして、「表現の自由」における議論ばかりを掲載し続けています。
例えば、8月23日の毎日新聞で「愛知知事リコールは「愛国」か 民族派からも疑問の声 トリエンナーレ補助金」という記事が掲載されています。詳しい記事の引用は省きますが、これは典型的な争点ずらしです。
公金の使途として適正かという議論ではなく、高須氏の行動の理由について、このイベントが「反日」「日本人の心を踏みにじった」という決め打ちです。
そこで、意味不明な「民族派」から疑問が出ているといい、リコールを「奇妙な政治運動」と断定している。公金の使途という観点があれば、リコールは民主主義として認められている当然の手段であり、「奇妙」とはなりません。
そもそも、各種トリエンナーレで反日運動をしている連中の裏で画策し動いているのは岡本有佳という、先日撲殺された韓国のソウル市長の側近です。朝日や毎日はほっておいても他のマスコミは何をしてるんですか?こんな連中に気兼ねする理由が知りたいものですし、大村知事はリコールだけじゃなく檻の中に入れるよう動くべきでしょ。愛知の恥だけじゃすみません。
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