時事
立民や共産党、社民党は、ことあるごとに「弱者の意見を!」、「少数の意見をくみ上げて!」といいます。聞こえはいいですよ。弱きを助けるという道徳に乗っ取っていますから。ただ、それは政治家が言ってはダメなんです。日本は民主主義国家です。民主主義の基本原則は多数決。多数の国民が思うところが民意になり政治を動かすというのが民主主義です。少数の弱者の意見は政治の場では大事ではありません。弱者を思いやるのは民度です。政治家が旗を振らずとも民はバカではありません。そんなこと言っていたら少数の声が政治に届かないじゃないかという方がいますが、声にならずとも政治には反映されるのです。民主主義は理想的な国家を作るシステムじゃありません。あくまで国民の多数の意見の集合体です。理想に近づけるかどうかは政治ではなく国民一人一人の知性、道徳などに由来し、「自分は何者か?どこから来たのか」という歴史を背負うことで国家が形成されます。いま、アメリカでは合衆国史の偉人を人種差別などの理由で否定し銅像を撤収したりしていますが、我々が、今思う、今考えることが正しいといえますか?歴史の審判も受けず、自分のかんがえが正しいなどという烏滸がましいリベラルが「タダのバカ者」でしかありません。そもそも、自分の考えは「あなた」のものでしょうか?DNAに記憶されたもの、生まれ成長する中で身につけたもの、地域や国家から知らず知らずに受け継いだもの、それらの集合体で今があり、自分の考えというのは「長い時間の瞬きの瞬間」でしかないのです。歴史を現代の思想や価値観で判断するのは「学歴を問わず無能の極致」です。
弱者保護を謳う政治家は、結論は民主主義を否定し社会主義や全体主義でエリートが差配する世界観を持っています。今度の学術会議の件でも、法学者が「ヒトラーの」、「学問の自由」などというフレーズを宣っていますが、菅政権の判断が違法というなら、法学者らしく司法の場へ訴えればいいのです。前から思っていることですが、リベラルという人種はヒトラーを否定しますが性根はヒトラーへの憧れがあります。ただ言えないだけ。リベラル系のテレビ番組は連日ヒトラーを垂れ流しているのは、純粋な憧れがあるんでしょう。自分は正しいことを言っているという浅はかさがあり、自分の考えた社会にならないのは間違った人々が社会を構成しているからで、間違った人間は排除すべきだと考えます。ヒトラーへの憧れの源泉がそこにあるのです。だいたい、ヒトラーのナチスは社会主義政党なんですから、元よりリベラルはナチスと整合性が高いのです。リベラルは結局国家破壊が目的で、破壊後にユートピアを作るという夢物語の中で生きているから、現実に起きている目の前のことに対処できないのです。
アメリカでも民主党政権による、上辺だけの綺麗事を通すための欺瞞の政治が始まりますが、日本人が心掛けることは、日本に戦争を仕掛けたのは民主党。第二次大戦以降の戦争は全て民主党が仕掛けた。尖閣への憂いなど無視し対中親和策をとったのも民主党。南沙への中国の進出を許したのも民主党。そういうことを念頭においてアメリカと付き合うということです。
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