時事

MMTその主唱者たちによれば、MMTの目的は、主流派マクロ経済学という「歪んだメガネ」によって生み出された財政と金融に関する誤った観念を排し、それをMMTから得られる正しい把握に置き換えていき、それを通じてマクロ経済政策を正しい方向に導いていくことだと述べています(笑)。MMT派の教科書Macroeconomicsの第8章では、そのMMTによって駆逐されるべき主流派の誤謬(Mainstream Fallacy)として、以下の9つの命題が掲げられています。

誤謬その1:政府は家計と同様な「予算」の制約に直面している。

誤謬その2:財政赤字(黒字)は悪(善)である。

誤謬その3:財政黒字は一国の貯蓄を増加させる。

誤謬その4:政府財政は景気循環を通じて均衡されるべきである。

誤謬その5:財政赤字は、希少な民間貯蓄を奪い合うことになるため、利子率を引き上げ、民間投資をクラウド・アウト(締め出し)する。

誤謬その6:財政赤字は将来の増税を意味する。

誤謬その7:政府の浪費は財源の喪失を意味する。

誤謬その8:政府支出はインフレを生む。

誤謬その9:財政赤字は大きな政府につながる。

新旧ケインジアンを含む反緊縮正統派は、おそらくこれらが「主流派の誤謬」だと言われれば、その誤謬を信じている主流派とはいったい誰のことなのか、よくメディアに出てきては赤字赤字と大騒ぎする緊縮保守派のことだろうか、などといぶかしく思うでしょう。「政府の赤字は家計のそれとは違う」とか「政府の財政赤字は別に悪いことでない」というのは、まさしく反緊縮正統派がこれまで口を酸っぱくして言い続けてきたことだからです。実際、不況期の財政赤字は積極的に許容されるべきだという赤字財政主義は、ケインズ主義が誕生して以来の基本的な政策指針の一つでした。

しかし、この中には確かに正統派とは明確に異なるものもあります。例えば「財政赤字は、希少な民間貯蓄を奪い合うことになるため、利子率を引き上げ、民間投資をクラウド・アウトする」です。あるいは「政府財政は景気循環を通じて均衡されるべきである」、「財政黒字は一国の貯蓄を増加させる」、「政府支出はインフレを生む」などもそこに含まれるでしょう。これらは正統派にとっては必ずしも誤謬ではありません。

新旧ケインジアンを含む正統派も、「赤字財政支出による民間投資のクラウド・アウトは不完全雇用下ではそれほど起きない」と考えています。しかし他方で、「経済がいったん完全雇用に達した時には、赤字財政支出はほぼ確実に民間投資のクラウド・アウト、金利上昇、さらにはインフレを引き起こす」とも考えています。したがって正統派の多くは、「赤字財政が明確に許容されるのは基本的には不完全雇用時である」と考えるのです。

それに対して、MMTは「赤字財政支出によるクラウド・アウトは原理的に起きない」と主張していて、「赤字財政は完全雇用であってもなくてもインフレでない限り許容されるべきである」、そして「政府財政は景気循環を通じて均衡する必要すらない」という、きわめてMMT的な歪んだ結論を生み出します。以下では、そのMMTの結論がどのような推論から導き出されるのかを検討てみます。

赤字財政支出がクラウド・アウトを起こさないMMTのメカニズムは、基本的にはきわめて単純です。それは、先日も書いた「MMTのIS-LMモデルを用いた説明」の箇所で用いた下図から明らかになります。





MMTでは常に、中央銀行は利子率を一定の水準に保つように金融調節を行うことが仮定されています。その場合、IS曲線の右シフトによって金利が上昇しようとすれば(左図)、必ずLM曲線の右シフトが誘発されます(右図)。つまり、政府が赤字財政支出を拡大すれば、必ず貨幣供給の自動的拡大メカニズムが作用することになります。

要するに、MMTの世界で民間投資のクラウド・アウトが生じないのは、基本的には「中央銀行が利子率を一定の水準に保つように金融調節を行うから」ということで、通常のIS-LM分析では、左図のように、政府が赤字財政支出を拡大すれば、必ず金利上昇(r0からr1へ)が生じます。それは、通常の右下がりのIS曲線が意味するように、より高い金利はより少ない民間投資をもたらすと仮定される場合には、政府の赤字財政支出によって民間投資がクラウド・アウトされることを意味します。しかし、そこで中央銀行が貨幣供給を増加させてその金利上昇を抑え込めば、確かに民間投資のクラウド・アウトは生じません。

ところが、Macroeconomics第8章では、このクラウド・アウトに関する「主流派の誤謬5」に関連して、以下のようなきわめて興味深い叙述があります。

《それどころか、財政赤字は金利を引き下げる圧力となる。赤字国債の発行は、赤字財政支出から発生する銀行システムの超過準備を吸収するための利子付き証券を投資家に提供することで、中央銀行が正の目標金利を維持することを可能にする。もしこれらの準備が吸収されなかったとすれば、政府の財政赤字という環境下では、(収益を生まない準備を処分しようとする銀行の競争によって)オーバーナイト金利は下落し、それは通常行われているように超過準備に対して付利を行わない限り、中央銀行の目標金利の同様な下落を招くであろう。(Macroeconomics, p.126)》

MMTはつまり、政府の赤字財政支出は、正統派のいうような金利上昇やそれによる民間投資のクラウド・アウトどころか、「中央銀行が政策金利を維持しない場合には、むしろ金利の下落をもたらす」と主張しているのです。

これは、7月25日に書いた「MMTの中核命題--中央銀行による政府赤字財政支出の自動的ファイナンス」のステージ2に対応しています。MMTにおける政府の赤字財政支出とは、まずは「政府による民間への財政支出支払い」です。それは、民間銀行における預金残高の増加、そして準備預金の増加をもたらします。さらに銀行間短期金融市場での金利下落を誘発し、中央銀行の金融調節すなわち国債の売りオペは、その下落を放置せずに金利の目標水準を維持するために行われます。

その現象をIS-LM分析で「翻訳」したのが、上の右図の矢印です。通常の正統派的な理解では、政府の財政支出によって銀行の持つ準備預金が拡大したとすれば、それはまさに中央銀行のベース・マネー供給が拡大したことを意味します。IS-LM分析ではそれはLM曲線の右シフト(LM0からLM1へ)を意味するから、利子率は当然ながら下落します。しかし、MMTが想定するように、中央銀行は通常こうした利子率の下落を許容せず、国債の売りオペによって超過準備を吸収し、利子率を矢印のように元の目標水準まで戻そうとします。それは正統派的には、中央銀行のベース・マネー供給が縮小したことを意味するのです。

要するに、「政府の赤字財政支出は金利上昇よりも下落をもたらす」というMMTの主張を正統派的に解釈すれば、「その政府の赤字財政支出は、貨幣市場の方ではまずはベース・マネー供給の拡大をもたらすからだ」ということになります。

神宮社中

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