時事

下記はロイターの記事です。日本はマスコミが指摘するような格差社会ではありませんし、失業保険や生活保護などの福祉も他国より充実しています。もちろん改善点は多々ありますが、経済大国としては合格です。

下記の記事にある富裕層への増税は掛け声倒れになります。例えば日本で所得1億円以上の方に増税するとなると、%にもよりますが増税の意味がある数字にすれば、富裕層は海外へ流出、或いは租税回避地に資金が逃げますから、選挙の票目当てで言うだけで絆創膏を貼るようなものにしかならないのです。結局、税は取りやすい者から取るという原則通りにしか行きませんから、源泉徴収という神業を持つ日本はサラリーマンから取ることになります。

近々、格差を考える上で重要な格差誕生システムを書いていきます。




コラム:米で広がる富裕税支持、大統領選後の導入に現実味

Edward Hadas

[ロンドン  ロイター BREAKINGVIEWS] - 米国の「富裕税」構想が初めて浮上したのは今から8カ月ほど前。構想に耳を傾けたのは主に民主党の傍流だった。それも今は様変わりした。富裕税の強力な提唱者の一人、エリザベス・ウォーレン上院議員は来年の米大統領選の民主党候補者の中で今や先頭を走っている。やはり富裕税を支持するバーニー・サンダース上院議員も、民主党候補者指名争いにおける先頭集団の一人だ。

国民も負けてはいない。クイニピアック大学が4月に全米で実施した調査によると、5000万ドル超の資産に年率2%の税を課す構想を有権者の約60%が支持している。夏にニューヨーク・タイムズ紙の委託で実施された調査では、大半の共和党支持者を含め、国民の3分の2が構想を支持していた。弾劾手続きによってトランプ大統領の再選確率が下がる可能性が出てきた一方、上記の民主党候補者2人が支持率を伸ばしている現状を考えれば、大統領選後の富裕税導入は現実味を増している。

そこで3つの基本的な問いが浮上する。富裕税とは何か、導入可能か、導入すべきなのか。

第1に、富裕税とは何か。基本的な考え方はごく単純だ。純資産を算出し、そこから例えば5000万ドルといった大きな数字を差し引く。答えがプラスの数字であれば、それに2ー8%を掛けた額を米政府に納税する。翌年もこれを繰り返す。

これでは政府はやり過ぎだ、という考え方もある。なにしろ政府は、個人が資産を築くもととなった所得から既に税を徴収しておいて、2口目を頂こうというのだから。ビートルズのジョージ・ハリスンが1966年に歌った通り、「座ろうとすれば座席税、歩けば歩行税」というわけだ。

構想の主な提唱者であるカリフォルニア大バークレー校のエマニュエル・サエズ、ガブリエル・ザックマン両教授は、こうした批判に周到な反論を用意している。大半の米国民は資産の1種、つまり住宅の価値に基づく税金を既に支払っている。富裕税は不動産税をお金持ちの金融資産にまで広げるだけのことだ。

理論上はその通りだが、富裕税は現実に機能するのだろうか。一部の著名エコノミストは機能しないとみる。ラリー・サマーズ元財務長官は、スウェーデンとデンマークでは「富裕税はあまりにも課税逃れが容易で、あまりにも管理が難しいために廃止された」とし、サエズ、ザックマン教授の甘さを指摘する。

サラ・ペレ氏による昨年の調査によると、富裕税を採用する経済協力開発機構(OECD)加盟国の数は、1980年の12カ国から2017年には4カ国に減った。

富裕税が失敗したのはサマーズ氏が言うように、富裕層が租税回避地を利用できるのも一因だが、話はそれで終わらない。ペレ氏によると、各国政府が富裕税の廃止に動いたのは、最高所得層と資本に対する税率を「引き下げる大きなトレンド」に突き動かされたからこそだ。事実、当時の政治ムードは超富裕層課税の引き下げに好意的で、それに政府が乗った。

サマーズ氏のような論者は、こうした政治的解釈を不愉快に感じるだろう。世間のムードが変われば税制も変わり得ることを示唆しているからだ。

そして世間のムードは変わりつつあるのかもしれない。6月24日に「どうぞわれわれに小幅な富裕税を課してください」と訴える公開書簡に署名した億万長者18人は、確かに富裕層の中でもほんの一握りにすぎない。しかし書簡によると、世論調査では「共和党から無党派層、民主党まで米国民の過半数」が富裕税を支持している。

つまり富裕税はシンプルで、おそらく導入可能だ。そこで最も難しい問いが残る。導入すべきなのか。

その答えは、正義を巡るいくつかの判断によって決まる。すなわち富をどう配分するかと、個人の過去の経済的成功に対する金銭的報酬の適切な規模についての判断だ。

正義の問題は究極的には哲学的だが、有権者と政治家が判断を下す上では、経済学的な分析も役に立つ。例えば富裕税が企業家の労働意欲に水を差しかねないという不安であれば、経済学者がなだめることができそうだ。サンダース氏案の純資産3200万ドル以上、あるいはウォーレン氏案の同5000万ドル以上の富裕層への課税であれば、だれも野心をそがれたりしないだろう。

経済学者は提案に修正を加える役割も果たせる。ミネソタ大とトロント大の研究者5人は最近の論文で、資本に対する税率を上げる一方、資本所得への税率を下げることを提案している。粛々と資本に課税し続ければ、資本を非効率に運用している人々の資産を減らせる一方、資本所得の税率を引き下げれば、最も生産的な投資を行った人々の手元に多くの資金が残るようになる。

このような学術的な修正を加えれば、富裕税構想には正義だけでなく経済効率も備わるかもしれないが、票の獲得には大して結びつきそうにない。とはいえ、サエズ、ザックマン両氏の新著「正義の勝利」によれば、米国はかつて富裕層に今よりずっと高い税率を課していた。それを可能にしたのは大恐慌だった。

ウォーレン、サンダース両候補とその支持者らは、大恐慌ほどひどい経済環境ではなくても当時のようなムードは盛り上がると期待しているのだろう。彼らはいいところを突いているのかもしれない。

(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)